学級会ではどんな話し合いがなされているでしょうか。
それよりもまず、学級会が、どんな時間になっているかも大事なところですね。
①毎回きっちり議題が用意され、子どもたちが折り合いをつけながら全員で議題を解決し合う時間
②型にはまった話し合いで、どことなく学級会ごっこのような時間
③お楽しみ会がメインのなんとなく話し合いが進む時間
④何かの時間調整の時間
理想は①
これは誰の目から見ても明らかだと思います。もちろん、学習指導要領には学級活動についてきっちり明記されていますし、それぞれの自治体から提案がなされたり、それぞれの学校で学級会の位置付けがしっかりと決められていたりするので、その提案に従うことが大切だと思います。
とは言っても、毎時間、
1)クラスの児童が議題収集をし
2)児童と担任教師で議題の選定を行い
3)児童が学級会のために準備を進め
4)話し合いを全員の力で解決していく時間を作る。
これは正直、
「無理」
の一言に尽きます。
なぜなら、そんなことをしている暇がないから。それほど児童も先生も忙しくなっているのが実情です。もちろん、担任の先生のしっかりとした準備とご指導のもと、児童が情熱をもって学級会に向かっているクラスもあると思います。
私は正直言って、無理です。
でも、大切にしていることはあります。
それは、生の感情を出したり、心が宿った意見を出したりする児童がどれだけいるかを考えていることです。
普通にやり過ごせば、学級会が上で示した②~④の時間になってしまうでしょう。しかし、学級会という時間がしっかりとカリキュラムに設定され、やらなければならないことなのなら、上手くできないなりに少しでも生きた時間にしてあげたいと思っています。
だから、生で話し合える場を作っていくことを1年中考えていますし、いろいろな手法で話し合い活動ができるように奮闘しています。そういった意味で、私はいつまでたっても初心者です。
子どもたちは、
「話し合い好き!」
「この議題を何とか解決しよう!」
「意見を言って、少しでも参加できればいいな」
「なんで意見なんかを言わなくてはいけないのか。」
「そもそも話し合いに興味がない。」
などなど、実態は様々です。
話し合いがうまくいくかどうかは、ほとんどクラスの雰囲気で決まります。お互いが認め合っており、満足感を抱いている集団なら、おそらく自分たちでほとんどのことをやっていけるでしょう。
しかし、そんなクラスばかりではありません。むしろ、そうでないことが普通です。所詮クラスというのは、寄せ集めの集団にすぎません。初めから自分のクラスに特別感を抱いて学級に在籍している子どもたちなどいないといってもいいです。なぜなら自分の意志ではなく、勝手に決められたメンバーだからです。集団生活を送っていく中で、クラスが自分にとってどういう存在なのかを自覚していくものです。ですから全員が100%満足して在籍しているとは考えていません。
だからこそ、できるだけ多くの子どもたちが、有意義な時間になればいいなと考えて取り組んでいます。そのためには、ある程度のルール設定が必要であったり、話し合いの時の態度が重要であったりします。同時に、自分の素を出せる空気感を教室で育んでいく必要もあります。
以下は、私が学級会で気を付けている6つの視点です。
学級会は
・議題提案から解決に至るまで、全て「子どもたちだけ」で進めていくもの。
・教師は「見守り」、子どもの話し合いに入らない。
・心の底から湧き出た「生の声」だと判断したら、多少型が崩れたり、言葉が雑になったりしても気にしない。
・必要なときを見極め、「舵取り」をする。
・司会者や発表者などの話している子にばかり気を取られず、聞いている子を中心に「見とり」をすること。
・決まった案件は必ず実現できるようにし、失敗したり、成功したりする「経験をさせる」こと。
こんな感じです。
考えてみると、学級会もその他の教科も同じ視点で見ています。子どもがいつでも自由に「わからん!」と言える空間を作って、それをどれだけ子どもたちだけで解決できるかを考えていきます。全体の前で言いずらい「わからん!」が言える空気感は大事ですよね。
ちなみに私は教師1年目のころから、
「学級会ほどつまらないやらせの時間はない」
と思っていました。もっと言えば、学校の授業自体、すべてやらせ。にんまりしているのは教師だけ。授業は完全に大人の自己満足の時間だと感じていました。自分なりに消化した内容で経験を積んでいくごとに、考え方やとらえ方が変わっていったものの、そのように感じる場面は少なからず今もあります。現在の学校教育は、目まぐるしく移り変わる社会と大きく乖離しています。はっきり言って矛盾だらけです。そんな中でも学校現場では、次から次へと降ってくる「やらねばならぬこと」をこなすために、ギリギリのラインで奮闘を続けています。
もちろん、泣き言ばかり言っていられません。やらなければならないのなら、必死でよいものにしようと考えます。簡単にうまくはいきませんが、必死で目の前にいる子どもたちの時間を、そして自分の時間を、少しでも有意義なものにしようと考え奮闘します。
この間の学級会で、普段話し合いにまったく興味を示さない子が
「なんかおもろかった。」
と言いました。
クラスの中で慕われている盛り上げ上手な子が、
「今までで一番いい話し合いやった気がする」
と言いました。
あまり目立たない子が、話し合いをしている最中に自然な笑顔を何度も見せていました。
こんな場面が少しでも多くなるように、不器用ながら、今でもずっと悩みつつ試行錯誤を続けています。
仕事なので。