教師の仕事には終わりがありません。
まじめで一生懸命な先生ほど、終わりのない仕事であることを実感しているはずです。なぜなら、仕事のクオリティに合格ラインが存在しないからです。
乱暴な言い方をすれば、すべて自己満足の世界ということになります。
裏を返せば、それだけ手抜きをすることができる仕事であるとも言えます。
どれだけ手を抜いたって、給料はもらえます。だから手を抜けば、こんなおいしい仕事はどこにも転がっていないと思います。
しかし、そう簡単に手抜きをするわけにはいきません。
手抜きをしたら、それはすべて自分に返ってくるからです。
先生は不信感を抱かれ、子どもや保護者との距離が徐々に開く。
教室が荒れ始め、指導が増え始める。
問題の規模が徐々に大きくなり、対応に追われ、退勤時間がどんどん遅くなる。
休日でも頭の中に仕事が居座り続け、休日でも心は十分に出勤している状態。そうなれば、日曜日の夜は、ナイトメアです。
(一応言っておきますが、これは、責任感のある人の心理です。
手を抜いてもなんとも思わない人なら、周りがどんな状況になっても、きっと悩んでいないはずですから。)
そうならないために、先生はちょっとしたことでも一生懸命考えて準備や問題への未然防止に奔走します。何度も自分の準備した内容を確認し、「本当にこれでよいのか」と繰り返し考えます。この作業が休日も続きます。
まさにエンドレスです。
「終わりを自分で決められるようになる」
これがエンドレスからのちょっとした脱却です。ある程度の経験を積んでくれば、終わりを決められるようになります。
正確に言えば、終わりを決める判断が早くなります。
何を最優先にするのかがわかってくるからです。
最終的には、自分の生き方を考え、その優先順位に従って行動していくことになります。
数年前まで私は「仕事」が全てでした。だから生きている時間のほぼすべてが仕事につぎ込まれていました。それでも足りないほどでした。
しかし今は、「自分の時間」と「家族」が、生きる上での大きな部分を占めています。だから優先順位が少しずつ変わってきています。
仕事というものの先に敷かれていたレールが、いつの間にか自分の人生のより良い方向に作られていっていることを実感します。
私は不器用なので、こんな当たり前のことを実感するまでに、こんなにも時間がかかってしまいました。
皆さんはいかがですか。
目の前の線路は、自分の納得する道に続いていますか。
今、一日の中に、喜びを感じて微笑む瞬間はありますか。
もし、今苦しくて、どうしようもない方いたのなら、
笑う余裕などない苦しみの中にいる方がいたのなら、
微笑む時間を探しながら生きている私が、遠くから応援しています。
「明日は少しでも心が軽くなりますように。
そして、喜びの人生のレールがいつまでもあなたの目の前に続きますように。」
祈っています。